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2010年06月04日

『ナマコを歩く』までの道程

『ナマコを歩く』までの道程 今年3月、日本列島は「マグロ危機」とでも表現すべき騒動に見舞われました。
 もちろん、カタールの首都ドーハで開催されたワシントン条約第15回締約国会議(CITES CoP15)が、その主役です。
 同条約のロゴマークにゾウが採用されているように、本条約は、野生生物の国際取引の規制を目的としています。そんな条約ですが、2000年以降、野生動物とはいえ、食料として消費されてきた水産物への関心が高まっています。本書があつかったナマコも、2002年以降、同条約の俎上にあります。
 たしかにナマコは野生動物です。しかし、17世紀頃より日本や東南アジアなどの島嶼社会から中国(当時の清国)に輸出されてきたように、ナマコは歴史ある「商品」でもあります。興味ふかいのは、これら輸出されたナマコが、生産余剰品だったのではなく、はじめから輸出目的で生産されてきたことです。
 このことは、江戸時代の官制貿易である俵物貿易からもあきらかです。同時期、東南アジアでは、欧米の商船が積極的に乾燥ナマコを買い集めていました。広東で、かれらが欲する茶と交換するためでした。生産地各地から中国へ輸送する航路の港には、それぞれナマコを介した、さまざまな文化と歴史が蓄積されていったことが想像できます。
 本書は、『ナマコの眼』の著者・故鶴見良行氏が提唱した「アジア学」に着想をえています。おなじく鶴見氏が晩年に意識的に歩いたフィリピン南部と東インドネシアの島嶼社会を主要なフィールドとしつつも、鶴見氏の時代には問題視されることのなかった、「海」という環境利用に着目し、現代社会の様相の記述と分析をおこないました。
 そのきっかけは、1995年にガラパゴスで勃発した「ナマコ戦争」でした。ナマコの伝統的な生産地である東南アジアと新興産地であるガラパゴスの間に、当初は、なんのつながりも見いだすことができなかったものの、ナマコがワシントン条約の議題にあがったことで、グローバルに展開される環境主義のもと、「いかに地域社会の人びとは、自分らしく生きていけるのか」が、わたしの研究テーマとなりました。
 これまでワシントン条約をはじめとしてさまざまな国際会議に参加し、「自然資源を利用して生活している人がいる」という現実を、先進国の環境保護論者は見ていないのではないか、という疑問が生じてきました。巨大な保護区(サンクチュアリー)を設定し、原生自然を残そうという理想を語れるのは、逆説的に言えば、かれらが自然の恵みに多くを依存していないから、と考えられなくもありません。
 このような疑問から、本書の第1章ではダイナマイト漁をとりあげました。なにかと批判の多い漁業ではありますが、インターネットなどで喧伝される暴力性・破壊性は、わたしにはすべて伝聞情報にもとづく、表面的な印象記としか読めません。というのも、わたしがフィリピンの南西部で調査した事例は、フィリピン南部における開発問題とムスリム問題が、複雑にからみあったものだったからです。そして、そうしたフィリピンの開発からあがる利益を享受するのは、わたしたち日本の消費者でもあります。同様に、国際会議で主張されるボルネオ島とスマトラ島のオランウータン保護も、わたしたちが、かれらの生息地をうばっているアブラヤシから採れるパーム油の消費者であることを無視した一方的なものです(第9章)。こうした目に見えにくい関係性を、具体的な事例にほぐしていくことが、わたしの考える「学問の同時代性」です。
 もちろん、捕鯨に顕著なように、漁撈・狩猟文化や食文化とても、単に「伝統的」というだけでは、今日の高度に国際政治課題化した環境保護論の荒波から逃れることはできません。とはいえ、UNESCO(国連教育科学文化機関)が主張するように、地域社会が育んできた生態学的知識や漁撈技術といった無形文化遺産(intangible cultural heritage)の保護を考慮した場合、人間の関与を排除した一方的な自然保護や生物多様性保全も、絶対的な正当性をもつものでもないはずです(337〜340頁)。
 生物多様性条約は、(1)地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること、(2)生物資源を持続可能に利用すること、(3)遺伝資源の利用から生ずる利益を公平かつ衡平に配分することを定めています。イメージしやすいからでしょうが、巷では(1)ばかりが強調されているように思えます。だとすると、なにも生物多様性(biodiversity)という概念をもちだすまでもなく、自然(nature)や野生生物(wildlife)といった従来の概念で十分であったはずです。こうした従来の術語では十分に汲みきれなかった概念が、生物資源の持続可能な利用と少数民族の知的所有権の保護であったはずなのです。
 わたしたちが、今日、さまざまな製薬の恩恵にあずかり、ゆたかな食生活を楽しめるのは、多分に熱帯雨林で暮らしてきた人びとが継承してきた生態学知識によっています。ABS(Access and Benefit Sharing)と称される、こうした人びとへの利益還元も、もちろん不可欠です。しかし、それ以上に必要なのは、このような人びとが受け継いできた知識と経験の基盤となる「狩猟採集」という、かれらの生活様式にも敬意を払うことではないでしょうか。
 「生物多様性と文化多様性」を副題に掲げたのは、この主張ゆえのことです。本書では、ナマコという奇妙でマイナーな生物をあつかいましたが、マイナーなだけに中国・大連市でさかんな「ナマコ信仰」とでも表現すべき食文化と食料問題、資源問題の重層性が、よりクローズアップされることになりました。
 では、マグロはどうでしょうか? 喉元過ぎれば・・・ではありませんが、将来的にナマコ問題を「他山の石」とできるような日がくることを願っています。食糧の6割以上を輸入に頼るわたしたちが、世界の資源問題に無関心でよいわけがありません。本書が、そうした一連の問題群を考察する一助になればさいわいです。

赤嶺 淳


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Posted by 赤嶺 淳 at 10:14│Comments(3)研究成果
この記事へのコメント
おっしゃるように「資源」を「知的…」と読み替えて「先進国」に集中させる方法がまかり通ろうとしていますね。これについて、50年あるいは100年単位での巨視的なもののみかたが必要とされている時代もまたなかったのではないのでしょうか?何冊か求め、Visaya大王陛下その他の方々にもお贈りいたしました!
ますますのご活躍を!
Posted by 短矩亭 at 2010年07月16日 09:03
8月18日に教員免許更新講習を受けるものです。
ナマコを歩く・・・??全くの興味本位でこのブログにやってきました。スミマセン
生物多様性=生き物を殺さないようにしよう・・と表面的なメッセージだけを子どもたちに伝えていてはいけないですね。生き物と人間のつながりには、歴史的な時間軸と、地理的な横軸を加味するとさまざまなつながり方があるようです。だとすると、一見良さそうな考えにのっかり、多数決で決めていてはいけませんね。地球環境を考えるってことは、いろいろな考えを知り、相手の身になりつつ、知恵を出し合っていく事なのかも。そんなことを思いました。
Posted by ふくとも at 2010年08月10日 16:14
社会科学的考察が生物多様性と生態系サービスの維持に寄与出来るとすれば、地球規模で進む生物消費とそれに伴う一部の地域での貧困また持続可能でない資源活用がどのような理由で行われているのかを探る事にある。ここで先進国の環境保護論者として一般化してしまう事は、海洋保全における「先進国」対「発展途上国」というこれまでの日本ディスコースに追随する物であり、国際会議等であらわになるより複雑な環境国際関係の実態を正しく伝えていない。日本が消費においては先進国、イデオロギー立場として発展途上国の立場を穫りたがるユニークさが如何に文化的に構築されてきたのかを分析される事で、よりアカデミズムの高い研究を期待する。
Posted by CBD at 2012年02月04日 00:56
 
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