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2015年02月15日

栃木のモロ料理

先週末、栃木市に行ってきました。まだまだ範囲は未確認ですが、「栃木市周辺では、モロと呼ばれるネズミザメが食されている」と聞いたからです。果たして、その通りでした。モロは気仙沼でモウカザメと呼ばれるネズミザメ。もうひとつ青森産のサガンボもしくはボウザメ(棒鮫)、ムキサメ(剥鮫)と呼ばれるアブラツノザメの2種が流通していました。モロは気仙沼産、サガンボは青森の八戸産ということでした。

もともとは煮付けが主流だったようですが、フライやカツ丼風のものが、栃木のソウルフードとなっているとか。しかも、鮫カツ丼は、ソースカツ丼でした。栃木市にかぎらず、両毛地域はソース文化なんだそうです。鮫の身肉は、柔らかく、臭いも癖もなく、フカフカでした。






これぞ、ネズミザメ(モウカザメ)の身肉で、外見も、三次市のオナガザメの身肉とは違うことがわかります。スーパーには、ネズミザメもアブラツノザメも売られていましたが、外食店で食べようと思うと、なかなか見つからないのが面白い。モロにしろ、サガンボにしろ、むしろ家庭で食べるもののようです。鮫カツ丼はランチだけ営業しているなすび食堂で、煮付けは駅前の路遊亭さんに事前予約して作ってもらった次第です。

気仙沼の市場関係者によると、気仙沼からネズミザメは、群馬県や長野県にも出荷されているとのことでした。そうだとすると、栃木はモウカザメ食文化圏の東端に位置し、これから群馬・長野にかけて消費されていることになります。どうやって調理されているのか、調べてみたいと思っています。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 16:29Comments(0)あるく・みる・きく

2015年02月15日

三次のワニはオナガザメ?

昨年12月27日、広島県三次市にておこなったワニ料理の調査の報告をしました。しかし・・・・・・どうも、三次市で「ワニ」もしくは「ネズミ」とよばれているサメは、オナガザメ類のもののようなので、ここで訂正いたします。

オナガザメ類は、ネズミザメ目オナガザメ科オナガザメ属のサメで、同属にはニタリ、ハチワレ、マオナガの3種が存在します。現在、三次のワニの主要な供給地は高知県や那智勝浦町で、これらは、実際、高知県や和歌山県などでは、ネズミザメとも呼んでいるようです。

昨日、気仙沼でネズミザメ(モウカザメ)の水揚げを見学していて、ふと、その形態の違いに気づいた次第です。第一、ネズミザメは、北太平洋に分布し、日本では、東北地方以北の太平洋、日本海でよく見られるとのこと。高知や和歌山で水揚げされるはずがありません。オナガザメは、熱帯から温帯までの広い海域に生息するとのことで、フィリピンでもよく食べられています。

以上、間違いを訂正させてもらいました。  


Posted by 赤嶺 淳 at 15:26Comments(0)あるく・みる・きく

2015年01月15日

ナマコに関する論文が公刊されました!



マナマコに関する論文が公刊されました。YANG Hongsheng, Jean-François HAMEL and Annie MERCIER eds., 2015, The Sea Cucumber Apostichopus japonicus, London: Elsevier, という454頁もある大著の22章、“Astichopus japonicus fisheries, trade, and foodways in Japan”(pp. 399-421)です。

HamelさんとMercierさんは、2003年10月に中国の大連市でFAOが開催したナマコ会議以来のつきあいです。このカップルは、時間があれば、つねに科学(science)とナマコについて議論しているという、大のナマコ狂い。以来、両者とは分野は異なりますが、「ナマコ狂い」ネットワークでつながっています。

これまでのマナマコの研究成果は、中国の場合、大連周辺のものが流通してきました。ですが、今回は、渤海をへだてた山東省・青島周辺の研究事例が豊富という点で異色・貴重なものとなっています。さらには、マナマコが生息する北朝鮮、韓国、日本の事例も含めている点でも、中国を中心としながらも、周辺からもナマコ産業・ナマコ食文化を考察できるようになっています。

現実には、大連のナマコ業者さんが、日本のナマコ産業に参入しているので、わたしたちは大連を意識せざるをえないわけですが、青島の事例をはじめ、朝鮮半島の事例を考察しながら、あらためてナマコ文化の多様性を活かすようにいけないものか、と考えている次第です。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 13:01Comments(0)研究成果

2014年12月31日

2014年の著作一覧

今年(2014年)に公刊した著作一覧です。
[論文]
① PURCELL, Steve, Poh Sze CHOO, and Jun AKAMINE, “Alternative product forms, consumer packaging and extracted derivatives of tropical sea cucumbers,” SPC Beche-de-mer Information Bulletin 34: 47-52.
② 「環境問題とむきあう──モノ研究からマルチ・サイテット・アプローチへ」,『地域研究』14巻1号:139-158.

[本の章]
③「ファーストフード化するナマコ食」町口裕二・廣田将仁編,『ナマコ漁業とその管理―資源・生産・市場-』,恒星厚生閣社,1-26頁.
④「ワシントン条約における水産物の管理動向と課題」,山尾政博編,『東アジア水産業の競争構造と分業のダイナミズム』,北斗書房,165-185頁.
⑤沼田愛・赤嶺淳,「大漁唄い込み踊にみる閖上のくらし」,高倉浩樹・滝澤克彦編,『無形民俗文化財が被災するということ──東日本大震災と宮城県沿岸部地域社会の民俗誌』,新泉社(全318頁),147-155頁.

[共著書]
⑥祖父江智壮・赤嶺淳,『高級化するエビ・簡便化するエビ――グローバル時代の冷凍食』,グローバル社会を歩く⑦,グローバル社会を歩く研究会,118頁.
⑦落合雪野・赤嶺淳,『アジアの自然と文化4 イモ・魚からみる東南アジア』,小峰書店,51頁.(第16回学校図書館出版賞受賞)

[その他]
⑧「海士町に魅せられて――「おきひゃく」にたくす夢」,『(社)水産資源・海域環境保全研究会(CoFRaME) メールマガジン』36号: 1-4.  


Posted by 赤嶺 淳 at 20:56Comments(0)研究成果

2014年12月31日

2014年の研究発表一覧

以下は、今年(2014年)の研究成果(口頭発表)の一覧です。今年は、書いたものが少なかった反面、サメ問題など新たに取り組んだ研究もあり、充実した一年でした。とはいえ、来年は、しっかりと書いたものを残したいと思っています。

1. “Commercially Exploited Aquatic Species and CITES: Lessons from cases of seahorse sea cucumbers,” at the International Symposium on Pacific Precious Corals ( 2014年太平洋產寶石珊瑚國際研討會), Taipei International Convention Center (TICC) on Feb. 18, 2014.
2.「学生とともに聞き書きをするーーインタビューの記録と技法」,大学で学ぶ文化人類学:フィールドワーク教育の試みと可能性,(於)愛知県産業労働センターウインクあいち,2014年7月26日.
3. “Conserving Marine Biodiversity for Cultural Diversity: A Case for Sea Cucumbers among Bajau Societies,” Borneo Research Council 2014, Universiti Malaysia Sabah on August 5, 2014.
4. 「切れた関係性を見いだす−−ダイナマイト漁民とわたしたち」(於)コタキナバル日本人学校,2014年8月21日.
5. “Potential for Sustainable Use of Sea Cucumbers in Malaysia,” LESTARI, Universiti Kebangsaan Malaysia on August 28, 2014.
6. 「ナマコ利用にみる文化多様性」,社会科学セミナー「生物多様性は文化多様性ーー相互作用と相互依存の研究」(於)東京大学柏キャンパス環境棟,2014年10月1日.
7. “Shark Town: Kesennuma’s Taste for Shark and the Challenge of a Tsunami,” Food Heritage, Hybridity, and Locality Conference, Brown University, Providence, Rohde Island, USA on Oct. 24, 2014.
8. “Potential for sustainable use of sea cucumbers in Malaysia: Toward Inclusive Dialogue for Sustainable Sea Cucumber Conservation in Malaysia,” 13th API Regional Workshop in Hiroshima, International Conference Center Hiroshima on Nov. 10, 2014.
9. 「大学と地域をつなぐーー「おきひゃく」の展望と課題」,第10回グローバル社会を歩く研究会セミナー「聞き書き」をもちいた地域づくりの課題と展望名古屋市立大学看護学部棟,2014年12月13日.
10. 「マレーシアにおけるナマコ利活用の多様化ーーナマコ生簀となまこ石鹸の開発を中心に」,東南アジアと日本の生態資源を里山・里海の視点からみる(於)金沢大学能登半島里山里海自然学校,2014年12月20日.
  


Posted by 赤嶺 淳 at 20:40Comments(0)研究成果

2014年12月27日

ワニ料理@広島県三次市

 

 今年、最後のフィールドワークに行ってきました。広島県は備北地方・三次市です(今年2回目の訪問)。島根県境にちかい山地/盆地あたり一帯は、ネズミザメを食す文化があることで有名です。アオザメ(方名イラギ)もそれなりに需要あると聞きましたが、なんといってもネズミザメが一番の人気です。煮こごりやフライなどもイケルそうですが、人気の調理法は、やはり刺身です。熟成したサメ肉は、ねっとりと舌にまとわりつく食感が最高です。

 写真は、市内のスーパーで売られていたネズミザメの刺身です。10切れ入って580円。なかなかの値段です。ちなみに刺身用として柵で売られていたネズミザメは100グラムあたり398円でした。いずれも宮崎県のマグロ漁船が釣ったものだそうです。

 このスーパーでは、100グラムあたりバチマグロ(解凍)が358円、カンパチ(天然)が298円で売られているわけですから、ネズミザメの人気のほどが知れます。

 サメは「第2のクジラ」などとも形容されることがあり、近年、「サメを食べることを野蛮」とする意見も少なくありません。しかし、三次市にかぎらず上越市(新潟県)や栃木市でもネズミザメを食べる文化がある様です。サメ類資源の有効利用の事例研究として、来年は、そうした地域も訪問したいと思っています。  


Posted by 赤嶺 淳 at 15:59Comments(1)あるく・みる・きく

2014年10月01日

「聞き書き」と「地域づくり」のシンポをやります(12月13日@名古屋)

 このたび、グローバル社会を歩く研究会(名古屋市立大学・大学院人間文化研究科「グローバル社会と地域文化」)では、「聞き書き」や「まち歩き」という手法をもちいて地域の問題や魅力を発見し、それを地域づくりや人材育成につなげるための手法や課題について議論する機会を設けることになりました。
 本企画では、そもそも地域づくりや地域おこしにおける、「問題」や「地域資源」を見いだすための調査手法として、質問票によるアンケートではなく、「聞き書き」や「まち歩き」などの市民参加型の質的調査を念頭におき、その可能性を追求したいと思っています。
 すでにさまざまな地域で「聞き書き」を実践されてきた話者の経験を紡ぎながら、学校教育/社会教育の区別なく、多様な人びとが「地域づくり」に参加する過程で得ることのできる「学び」や、そうした「地域づくり」の課題と実践策を見いだしたいと思っています。オープンな研究会です。ぜひ、ご参集ください。

「聞き書き」をもちいた地域づくりの課題と可能性

日時 12月13日(土),13:00〜16:20
場所 名古屋市立大学 看護学部棟 301教室
(名古屋市地下鉄桜通線桜山駅3番出口よりすぐ,http://www.nagoya-cu.ac.jp/1480.htm
主催  グローバル社会を歩く研究会(名古屋市立大学・大学院人間文化研究科・グローバル社会と地域文化)
共催 「まちづくりに資する参加型質的調査手法の開発」研究(代表・宮内泰介,科研費・挑戦的萌芽研究,課題番号24653110)

12:30 受付開始
13:00〜13:10  趣旨説明:宮内泰介(北海道大学)
13:10〜13:40  「「聞く」ことから「つながる」−−聞き書き甲子園の取り組み」吉野奈保子(共存の森ネットワーク)
13:40〜14:10  「「山里の聞き書き」は、村の魅力を村の人に伝える贈り物」清藤奈津子(山里文化研究所)
14:10〜14:30  休憩
14:30〜15:00  「地域コミュニティー、シマ(集落)学の取り組み」中山清美(奄美群島文化財保護対策連絡協議会会長)
15:00〜15:30  「地域と大学をつなぐ−−「おきひゃく」の展望と課題」赤嶺淳(一橋大学)
15:30〜16:20  討論 司会 佐野直子(名古屋市立大学)

年末のあわただしい時期ではありますが、みなさん、ふるって参加ください。お待ちしております。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 18:38Comments(0)フィールドワーク教育

2014年08月09日

おきひゃく2014@海士町

 今年も、おきひゃく(隠岐の100人)プロジェクトを島根県隠岐郡海士町で実施しています。名古屋から14名、東京から11名の計25名の大学生にくわえ、地域づくりやフィールドワーク教育に関心ある「おきひゃく」応援団13名も参加してくれています。
 本来は、8月6日から10日までの4泊5日を予定していましたが、明日(10日)の午前中に台風11号が隠岐諸島をほぼ直撃する予報をうけ、昨日(8日)の午前中に「今朝(9日)の朝1便のフェリーで島を出る」ように予定を変更し、その後、予定していたスケジュールを突貫工事でこなし、昨夜に発表会までたどりつけました。その後、語り手さん4名も参加してくれ、ささやかな懇親会を開催いたしました。あとは、寝て起きるだけ。と思いきや・・・・・・
 午前7時前の防災無線で「本日のフェリーは時化のため、終日欠航」とアナウンスされました。「???」 明日は台風が最接近する予定なので、今日・明日の海士滞在が決定した瞬間でした。
 昨日まではりつめていた学生たちの志気は下がる一方です。ころころと予定を変えるわたしたちへの対応に文句ひとついわず、「台風と上手につきあわんと」、「自然相手ですからねぇ」といったことばをかけてくれる島の人びとの声に感謝しています。とくに、宿のおかみさんたちが、台風とそれにともない予想される停電対策として、食料の確保・非常食の用意を着々とすすめてくれており、勇気づけられています。同時に、あらためて「これが島のくらしです」とのことばの意味を実感しているところです。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 11:29Comments(0)フィールドワーク教育

2014年07月17日

フィールドワーク教育についてのシンポジウム

 2014年7月26日に名古屋で日本文化人類学会が主催する「大学で学ぶ文化人類学:フィールドワーク教育の試みと可能性」という高校生を対象としたシンポジウムで話題を提供します。
 2001年に教壇に立ったときからあたためてきたフィールドワーク教育の経験について、島根県隠岐郡海士町で2012年度から実施している「おきひゃく」という聞き書きプロジェクトとからめて話をします。この春まで13年間お世話になった名古屋で講演できること、うれしく思っています。高校生対象とはいえ、一般にも公開されているそうです。お時間があれば、ぜひ、顔をだしてみてください。
 シンポジウムの詳細は、以下の日本文化人類学会サイトを参照ください。
http://www.jasca.org/public_lecture/  


Posted by 赤嶺 淳 at 20:22Comments(0)フィールドワーク教育

2014年07月17日

やっと前期が終わりました!

 本日、今年度前期のゼミが無事、終了しました! この春に異動してきたので、7名のゼミ生にとっても、わたしに関する情報はなく、わたしのゼミを選択するのは、それなりのリスクだったと思います。術語をもちいず、理論を語らない(語れない??)、わたしのスタイルに戸惑っていたようですが、後半は、枠組みではなく細部(detail)を重視するわたしの意図を、それなりに感じ取ってくれていた、と自己評価しています。
 今学期のねらいは、「個人の経験やモノの履歴をグローバルヒストリー定位すること」にありました。前半は、「モノ研究とグローバルヒストリー」、後半は沖縄を舞台に、「地域史とグローバルヒストリー」について勉強しました。
 ちなみに今学期に読んだ図書は、以下の通りです(以下、読んだ順)。

①鶴見良行、1982、『バナナと日本人』、岩波新書。
②鶴見良行、1995、『東南アジアを知る』、岩波新書。
③羽田正、2011、『新しい世界史——地球市民のための構想』、岩波新書。
④水島司、2010、『グローバル・ヒストリー入門』、世界史リブレット127、山川出版社。
⑤角田栄、1980、『茶の世界史——緑茶の文化と紅茶の世界』、中公新書596。
⑥川北稔、1996、『砂糖の歴史』、岩波ジュニア新書276、岩波書店。
⑦園田英弘、2003、『世界一周の誕生——グローバリズムの起源』、文春新書。
⑧網野善彦、2008、『「日本」とは何か』、日本の歴史00、講談社学術文庫。
⑨鳥越皓之、1988、『沖縄ハワイ移民一世の記録』、中公新書。
⑩奥野修司、2007、『ナツコ——沖縄密貿易の女王』、文春文庫。
⑪池澤夏樹、2012、『カデナ』、新潮文庫。
⑫利根川裕、1988、『喜屋武マリーの青春』、ちくま文庫。

 学生たちには、8月6日から始まる島根県隠岐郡海士町での「おきひゃく2014」が待っています。はじめての土地で、人生の大先輩の個人史を採録するという作業に、いかに向きあうことができるのか? そこに照準をあわせたゼミでしたが、いまから、わたしも楽しみです。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 19:58Comments(0)フィールドワーク教育

2013年08月31日

ネット開通

コタキナバルにきて、早くも1週間がたちました。子どもたちの学校も、来週火曜日からということで、この1週間は、家族総出で毎日、コタキナバル市内の市場に買い出しを兼ね、そこに並ぶ魚介類の見学に行く毎日でした。そして、もうひとつの目的はインターネット。お茶屋さんがサービスとして提供しているWiFiを使って、メールチェックやスカイプをするのも、日課となっておりました。

ですが・・・今日、めでたく自宅にネットが開通しました。先週の金曜日に申請して1週間。なかなか迅速に対応してくれた、と感動しています。これで、もっと、もっと発信できれば、とも考えています。

今日は、マレーシアの前身となったマレー連邦(1957)とサバ州(1963)の独立記念日。12時をこえた瞬間、花火があがっていました(自宅からは音だけしか聞こえませんでしたが)。

  


Posted by 赤嶺 淳 at 14:29Comments(0)マレーシア滞在記

2013年08月16日

マレーシアに到着しました。

昨日(8月15日)、マレーシアはクアラルンプールに到着しました。これから1年間、日本財団のアジア・フェローシップにて、マレーシアで研究活動をおこなうことになりました。8月9日が断食明けということもあり、まだお休み気分が残っており、大学をはじめとした役所も、来週の月曜日(8月19日)から再開といった感じです。

気温は30度と聞きますが、日本よりも風が涼しく、快適です。1997年1月にフィリピン留学から引きあげて以来、16年ぶりの東南アジアでの生活です。今回は子連れということもあり、これまでとは異なる東南アジア滞在となりそうです。折りにふれ、雑感を報告したいと思っています。

拝  


Posted by 赤嶺 淳 at 22:32Comments(2)マレーシア滞在記

2013年02月28日

『ナマコを歩く』の英文版が刊行されました!


 本日、拙著『ナマコを歩くー現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010年5月)の増補英文版、Conserving Biodiversity for Cultural Diversity: A Multi-sited Ethnography of Sea Cucumber Wars (Tokai University Press, pp.284) が刊行されました。これは、日本学術振興会の「研究成果公開促進費ー学術図書」という研究助成(出版助成)を頂戴してのものです。出版をひきうけてくださった東海大学出版会に感謝いたします。
 これまでにも英文で論文を発表してきたとはいえ、日本語を英語にするという作業は、想像以上に大変でした。当然ながら、日本語でナマコ食文化を論じる際には注意することもなかったことですが、漢字を解さない読者層にむけての執筆ということで、日本語での執筆とは180度ことなる戦略が必要となりました。たとえば、中国語はピンインで、韓国語は韓国で一般的なローマ字表記を採用しました。料理名や書籍名など、漢字を使用することでイメージが豊かになるため、ローマ字表記の違和感はいなめませんが、いたしかたありません。
 また、日本語版は学界のみならず、幅広い読者を想定してたのに対し、英文版の読者は学界関係者を想定せざるをえません。そのため、よりアカデミックな議論を心がけたつもりですが、自分の不勉強を露呈する結果となりました。この反省は、今後の研究の糧としたいと存じます。それでも、研究者だけではなく、わたしの研究の原点であるフィリピンの友人たちに読んでもらえることをうれしく思っています。
 日本語刊行のあと、中文版が2011年に台北の群學出版から『海參戰役:從在地思考生物多樣性與文化多樣性』として出版されました。中国料理の高級素材であるナマコをあつかった以上、中国食文化圏で、批判をふくめ、わたしの作品がどのように評価されるか興味あるところです。のみならず、ナマコというマニアックな動物のケース・スタディを越え、拙著であつかった「文化多様性の保護」という課題については、英文版の出版によって、より幅広い議論が可能になると期待しています。
 ナマコ研究はライフワークではありますが、中間報告としての、まとまった成果公開は、この英文版で一時休止となります。また、10年後ぐらいに、あらたな視点からナマコ研究のその後を問うてみたいと考えています(その頃、紙媒体の書物は存在しているのでしょうか)。
 みなさまからのご批判をおまちしています。
  


Posted by 赤嶺 淳 at 16:09Comments(1)研究成果

2012年02月19日

ジンベエザメを見ました。

 昨日からフィリピンはソルソゴン(Sorsogon)州ドンソル(Donsol)町に来ています。ここは、日本のメディアにも何度か紹介されたジンベエザメのエコ・ツーリズムで有名な町です。今回は、このちかくの町でナマコ養殖に挑戦する青年海外協力隊員と一緒です。人口5万人弱の町に、わたしたちのような観光客がひしめいています(今年の1月だけで2500人とのことです)。
 雨がちな日がつづいていましたが、今日は朝から快晴でした。1度に30隻が上限とされているようですが、今日は、20隻のバンカ船が出ていました。1隻の上限は6人ということで、わたしたちは、たまたま同宿したオーストラリアからきたジンベエザメおたくの4人と一緒に参加しました。なかのひとりは、昨年は沖縄の美ら海水族館までジンベエザメを見にいったというほどの、ジンベエザメ好きです。
 探索すること2時間。とうとう、ジンベエザメを発見しました。港をでてから3時間というルールがあるので、残された時間は1時間。
 しかし、この時間内で、5回もジンベエザメと一緒に泳ぐことができました。沈んだり、浮かんだりをゆっくり繰り返します。もっとも水面近くに浮かんだ場合には、水深2メートル程度まで浮上します。フィンをつけた状態で一生懸命泳いで、やっとついていける早さです。1回の遊泳時間は、おそらく5分あるかないかでしょう。
 わたしたちの船のガイドさん(BIO: Butanding Interaction Officer)は、偶然にも、Junさん!! かれの的確なガイドで、わたしたちはジンベエザメの浮上してくるであろう場所に船を移動させることができました(20隻もの船が集合するので、ガイドさんと船頭さんの腕で、潜る順番と遭遇機会がかわってきます)。
 Junさんによると、今日は3頭のジンベエザメと遭遇したとのことです(昨日は5頭)。最大は全長8メートルほどのものでした。普段から見慣れていないので、わたしにはどれほど大きなものなかは、まったく想像できませんでした。途中、ウミヘビがでてきたりして、驚かされました。
 ジンベエザメのシーズンは12月から5月。もともとは漁師さんだったJunさんは、これ以外の季節はマニラに出稼ぎに行くといいます。レストランでコックさんをしているとのこと。コックさんの日給は1日300ペソですが、食事付きなので、悪くない、といいます。これも、フィリピンの現実です。  


Posted by 赤嶺 淳 at 17:02Comments(1)あるく・みる・きく

2011年12月26日

『クジラを食べていたころ』目次

 本書は、名古屋市立大学・人文社会学部の2011年度前期に、わたしが担当した講義「東南アジア地域研究」で課した「聞き書き」の作品を編集しなおしたものです。以下、目次を掲載いたします。

はじめに
第1部 はたらきづめの人生
 1 「玉木裕子さん 仕事ほど楽なことはない」 玉木沙織
 2 「田附知子さん 大変なのはあたりまえ」 大賀由貴子
 3 「津田鏡子さん いまみたいじゃないもんで」 津田成美
 4 「児玉ミツ子さん ほんと、はたらきっぱなし」 中浦愛美
 5 「今泉秩・節子さん いまでも食べていける/ご飯とお魚があったら一番」 小山夏実
第2部 カレーライスとカップ麺
 6 「間野二三子さん 米の一粒も無駄にしない」 小川あずさ
 7 「水野ツヤ子さん クジラよりウサギ」 横山琴子
 8 「小田千代子さん 理想的なのは、一日、一日、買うことったい」 小田詩織
 9 「山田道男さん みんなもないから、みんな、おなじ」 斉藤みなみ
10 「山田一久・トラミさん 最高の生活と、どん底の生活」 吉田菜津美
11 「木村とみ子さん ほんとうに食べ物がないときだったからね」 木村仁美
第3部 便利になった生活
12 「浅井三郎さん 楽になったよ 柴田沙緒莉
13 「森原美恵子さん だんだんと 森原ももみ
14 「片山之子さん みんな洋食をつくりたがってた 羽田美由紀
15 「富田泰成さん いまはそんな風景、ありませんよね 渡邉健太
おわりに 「食生活誌」学の確立をめざして 赤嶺淳
  


Posted by 赤嶺 淳 at 11:25Comments(0)フィールドワーク教育

2011年12月25日

グローバル社会を歩く

 このたび、「グローバル社会を歩く」というシリーズの第1号として『クジラを食べていたころー聞き書き 高度経済成長期の食とくらし』という調査報告書を刊行いたしました。これは、わたしが今年度前期に担当した「東南アジア地域研究」という講義で課した聞き書きのレポートを再編集したものです。
 以下に「グローバル社会を歩く」シリーズ刊行の辞を引用いたします。今後も年間2、3冊のペースで発行したいきたいと考えています。ご愛顧いただければさいわいです。


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 このたび、「グローバル社会を歩く」と銘打ったシリーズとして、調査報告集を刊行することとなりました。
 そもそも「グローバル社会を歩く」は、名古屋市立大学・大学院人間文化研究科の「グローバル社会と地域文化」に所属する教員有志ではじめた研究会です。わたしたちは、文化人類学、社会学、社会言語学、地域研究を専門とする教員で構成されています。お互いが研究対象とする地域も北米、中国、ヨーロッパ、東南アジア、日本とバラバラです。共通点は、ただひとつ。みながフィールドワークを研究手法に据えているということです。
 現代が、モノ、情報、資本の往来するグローバル化時代であることは、いうまでもありません。世界が小さくなったといわれる今日、地域社会はどのような問題を抱えているのでしょうか? こうした素朴な疑問にこたえるために、2010年、わたしたちは「グローバル社会を歩く」という研究会をたちあげました。
 フィールドワークは、「歩く・見る・聞く」と表現されることがあります。名言、そのものです。しかし、わたしたちが研究会の名称に託した「歩く」には、別の意味もこめられています。それは、ただ単にフィールドを「歩き」、観察するだけではなく、フィールドの人びとと一緒に「歩む」ということです。研究成果の地域還元について真摯にとらえたい、という意思表示なのです。
 この調査報告シリーズでは、地域社会での生活変容を具体的に記録することを一義的に考えています。つたない報告書ではありますが、フィールドワークで得た生の声を届けることから、わたしたちの「歩み」をすすめたいと存じます。みなさまからのご批判をお待ちしています。

2011年11月

グローバル社会を歩く研究会

  


Posted by 赤嶺 淳 at 21:41Comments(0)フィールドワーク教育

2011年12月25日

『クジラを食べていたころ』を刊行しました。

 このたび、『クジラを食べていたころー聞き書き 高度経済成長期の食とくらし』を刊行いたしました。
 「グローバル社会を歩く」という研究会から刊行された少部数のブックレットです。新泉社(@東京)が販売をうけおってくれました。流通部数も少なく、ほとんど宣伝らしい宣伝もしていないにもかかわらず、福島県内の図書館が購入してくださったそうです。本書用に書きおろした「「食生活誌」学の構築をめざして」(pp. 204-212)という短文の執筆動機は、そもそも福島第一原子力発電所の事故を契機として、高度経済成長期以降の食生活システム全体が、安定した電力供給を前提に成立してきたという、自明の事実にあらためて気づかされ、そのことの不自然さをうたがうようになったことに起因しています。そうした文章を、被災からの復興過程にある人びとに読んでいただき、批判していただけること、光栄に存じます。
 以下、本書におさめた「はじめに」の一部を紹介いたします。

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 わたしは、自身の研究の必要性から、さまざまな地域で、いろんな人びとにインタビューをおこなってきました。訊くテーマはそれぞれですが、話の最後は、話者の人生哲学というか、語り手さんがたどってきた人生談におちつくことがほとんどです。
 人間は、世間とかかわらずに生きてはいけません。個人の生きざまを訊くということは、その人が生きてきた時代を訊ねることにつながります。こうしたジャンルを、わたしたちは個人史といったり、ライフ・ヒストリー、あるいはライフ・ストーリーとよんだりしています。ライフ(life)は生活、ヒストリー(history)は歴史、ストーリー(story)は物語です。インタビューした内容をストーリーに仕立てることを「聞き書き」とよんでいます。
 もちろん聞き書きの主人公は、語り手です。調査研究のためとはいえ、語り手は、聞き手によって、プライバシーを暴かれる存在でもあります。だから、というわけでもありませんが、本書は基本的に(甘えのゆるされる)親族への聞き書きがほとんどとなりました(例外は三篇で、いずれも旧知の方でした)。残念ながら、すばらしい聞き書きにしあがったのに、語り手さんの希望で掲載を見送った物語もありました。また、語り手さんが顔写真の掲載を遠慮された報告もあります。
 タイトルに「クジラを食べていたころ」、副題に「高度経済成長期の食とくらし」とあるように、本書の目的は、日本社会が劇的な変化を経験したとされる高度経済成長期について、変化の諸相を「食」の視点から切りとることにあります。食糧難にあえいでいた戦後復興期に、わたしたち(の先人)の命をつないでくれたのは鯨肉でした。しかし、飽食国家にくらすわたしたちが、現在、消費する鯨肉は、ひとりあたり年間わずか50グラムにとどきません。ハンバーガーのパテ2個にも満たない分量です。
 鯨肉消費が減少した理由のひとつが、1970年代以降に急速にたかまった反捕鯨運動にあることはまちがいありません。実際、「日本は裕福になったんだから、もう鯨肉を食べる必要はない」といった意見を耳にします。しかし、食習慣や食文化といった問題は、そんな単純な議論には収斂しえないはずです。「食」という行為を、生活様式全体に目配りをし、もっと多角的に考察する必要がありそうです。
 わたしたちが学ぶ人文社会系の学問では、「何故?」という理由を問うだけではなく、いかにして変化が推移していったのか、という過程そのものをあきらかにすることが必要です。たとえば、高度経済成長期以前の日本では、今日ほど畜肉や油脂を消費していませんでした。鮮魚が海浜部集落以外にも流通するようになったのは、高度成長期のことでもあります。このように鯨肉消費の減少は、冷蔵庫をはじめとした家電製品の普及、外食産業の隆盛、利便性を追求する流通産業といった、さまざまな生活様式/社会生活の変容のなかに位置づけなくてはならないのです。
 こうした見立てのもと、第1部では「はたらきっぱなし」だったという労働環境を、第2部ではカレーライスとカップ麺というあらたな「食」との出会いを、第3部では利便性そのものを主題とした聞き書きをならべました。一読すると、鯨肉消費という限定的な話題にかぎらず、いかに生活の変化が食卓に反映されているかがわかっていただけるはずです。
 ここに収録した15篇の聞き書きの著者は、大学2年生から4年生までの学生です。はじめて聞き書きに挑戦した学生も少なくありません。聞き手の苦労(と達成感)は、それぞれの物語の最後に附した「聞き手のつぶやき」を参照ください。
 ある学生は、「残念ながら祖母はどんなに説明しても、今回の聞き書きの趣旨を完全には理解してくれなかった」とつぶやいていました。しかし、「理解していなくとも、祖母は無意識のうちに、自分の見てきたこと、経験してきたことを話してくれていた。ひとつのことを聞いているうちに、それに関係するさまざまなことが見えてきて、そこからその人の歩んできた人生が見えるというのが、こういった聞き書きのおもしろさなのだと感じた」ともつぶやいています。
 この学生がいうように、聞き書きのおもしろさは、語り手と聞き手の協働作業の過程にあります。とくに祖父母のたどってきた歴史を訊ねることは、学生自身のルーツを確認する作業でもあります。手前味噌にすぎるかもしれませんが、素人が親しい人びとを聞き書きしたからこそ、かえって学術書があつかいきれなかったリアリティが浮かびあがったと自己評価しています。
 今年の3月11日以降、日本は、いや人類は、他人のまねではなく、自分自身で、あらたなモデルを模索せざるをえなくなりました。将来について、決して楽観視はできないものの、悲観していてもはじまりません。さまざまな困難を乗りこえてきた先人の語りに耳をかたむけながら、将来を展望してみようではありませんか。なにも昔の生活にもどろう、と提案しているのではありません。かつての知恵をヒントにすることで、よりよい社会をひらいていけるはずです。この聞き書き集が、読者のみなさんにとっても、勇気づけられるものであることを願っています。

赤嶺 淳

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Posted by 赤嶺 淳 at 21:35Comments(0)フィールドワーク教育

2011年07月12日

海上の安全

7月12日(Day 2)

今日の朝一番は、議題番号12の「海上の安全」(Safety issues at sea)でした。シー・シェパード・コンサベーション・ソサイエティによる暴力行為についての議論でした。日本政府が作成したビデオの上映もおこなわれました。

以下、発言順に、要旨をまとめます。

①ロシア。暴力行為に反対するとし、旗国(オランダ、オーストラリア)や寄港国(ニュージーランド、オーストラリア)の意見を求めました。
②オランダ。この問題はIMO(International Maritime Organization: 国際海事機構)で議論すべきで、IWCの議題ではない。海上の安全は尊重すべきではなるが、法律の範囲内でのデモは可能。
③キリバス。暴力行為は「繰り返し」ではなく、「エスカレート」している。捕鯨に関する意見の相違は、このような暴力的手段で解決をみるべきではない。
④オーストラリア。いかなる国際法の違反はみとめられない。この問題はIMOで議論すべきである。日本は調査船を合法的というが、オーストラリアは、そうは考えていない。
⑤韓国。捕鯨は海洋資源の利用の一形態であり、科学的見地にもとづいた持続的利用は推進すべき。海上でのデモンストレーションは、政治的行為である。不満があっても、いかなる違法行為はゆるされるべきではない。この問題に関係する国家に責任ある行動をもとめる。
⑥モロッコ。調査捕鯨船は、IWCの許可をうけて操業している以上、そうした船舶への暴力行為は、IWCの問題である。
⑦メキシコ。オーストラリアとオランダに適切な処置をとることをもとめる。
⑧ニュージーランド。公海の安全をもとめる。平和的なデモはみとめられるべきであるが、暴力行為はみとめられない。しかし、南氷洋での捕鯨が攻撃対象となるのも不思議ではない。
⑨ノルウェー。全面的・無条件に日本を支持する。
⑩米。海上の安全と生命の安全は、もっとも尊重されるべき。今後も調査はつづくだろうが、安全確保が必要である。
⑪ポルトガル。調査活動に反対はあるだろうが、暴力行為は駄目。
⑫アイスランド。テロ組織を批判の対象とするのではなく、旗国、寄港国を標的にすべきである。平和裡な抗議をおこなう権利は有していても、暴力行為はみとめられない。

と12ヵ国の意見が表明されました。これまでにも度々、暴力行為の批判が決議されてきていますが、実行力があったかどうかは不明です。韓国は、1982年の商業捕鯨モラトリアムも見直すことを約束したのにしなかったIWC自体の組織としての信憑性を問題にし、こうした決議も実行力をもったものにすべきである、と力説したのが印象的でした。  


Posted by 赤嶺 淳 at 18:59Comments(1)IWC63

2011年07月11日

IWC63@ジャージー島(英国王室属領)


今日から国際捕鯨委員会の第63回年次総会(IWC63)が、英国王室属領のジャージー島で開催されています。王室の私領ということで、議会も税金も通過も独自のものをもっています(外交と国防をイギリスに委託しているとのこと)。もちろん、EUには加盟していません。フランスのブルターニュ地方の沖ということで、文化的にも歴史的にもフランスの影響がつよい感じです。

で、です。開会早々にシーシェパード・コンサベーションが集団でやってきて会場となっているフランス・ホテルの前でデモンストレーションをやっていました。「鯨類に自由を」と歌っていました。

デモだけが目的ではないらしく、数台のカメラで、騒動にかけつけたわたしたちを撮影していました。気のせいか、日本人にねらいをさだめて撮影していたようにも感じました。かれらのホーム・ページなどで使用するものと思われます。

わたしも撮影されたはずです。仕事柄、わたしも写真を撮らせてもらい、こうして写真を使わせてもらうこともおおいわけですが、肖像権はむずかしい問題だと感じました。まぁ、ポール・ワトソンさんは、有名人なので、アップを掲げてもいいかな、と思っています。この写真も、メディアのカメラのインタビューに答えているところなので、かれが撮られることを嫌がっているとは思えませんし。第一、こうしてかれの写真を利用することも、結果的にかれの活動を世に広めることにつながるわけで、かれの想定内の戦略なのかもしれませんが・・・  


Posted by 赤嶺 淳 at 20:01Comments(0)IWC63

2011年06月16日

ISRRRM 2011 Malaysia

The International Symposium on Society and Resource Managementという学会に参加するため、6月9日からマレーシアはサバ州、コタキナバルに来ています。昨日(15日)午前のセッション5.1で"Die in peace and come back again: Functions of memorial services for wildlife in marine resource management in Japan"と題した発表をおこないました。

ワシントン条約における水産種の管理問題について触れたのち、能登なまこ加工協同組合が主催する「能登なまこ供養大漁祈願祭」について報告し、こうしたイベントが資源管理にはたしうるintangible toolとしての機能について説明しました。

日本ではなかなか会えない旧友とあったり、新たな仲間と知りあえるのが学会の醍醐味です。10月に台北で開催される東アジア環境史学会(EAEH2011)に参加を予定していますが、その際、国立台湾師範大学で講演をひきうけることになりました。これも、今回、知己をえた先生からの依頼によるものです。こうした機会を活用し、自分の研究の幅をひろげていきたいと考えています。

この学会にさきだち、駆け足で、かつて調査でお世話になった家族をセンポルナに訪ねました。15、16年ぶりの再会となったわけですが、当時、おさなかった娘さんたちが、貫禄あるお母さんになっていて、昔話でもりあがりました。ダイビングでにぎわうセンポルナの街並みも、かつてとは大違いで、こちらも浦島状態でした。

当たり前といえば、それまでですが、時間の流れを痛感させられました。次に会えるのは、いつのことやら、です。  


Posted by 赤嶺 淳 at 12:43Comments(0)研究成果