てぃーだブログ › ナマコのまなこ

2012年02月19日

ジンベエザメを見ました。

 昨日からフィリピンはソルソゴン(Sorsogon)州ドンソル(Donsol)町に来ています。ここは、日本のメディアにも何度か紹介されたジンベエザメのエコ・ツーリズムで有名な町です。今回は、このちかくの町でナマコ養殖に挑戦する青年海外協力隊員と一緒です。人口5万人弱の町に、わたしたちのような観光客がひしめいています(今年の1月だけで2500人とのことです)。
 雨がちな日がつづいていましたが、今日は朝から快晴でした。1度に30隻が上限とされているようですが、今日は、20隻のバンカ船が出ていました。1隻の上限は6人ということで、わたしたちは、たまたま同宿したオーストラリアからきたジンベエザメおたくの4人と一緒に参加しました。なかのひとりは、昨年は沖縄の美ら海水族館までジンベエザメを見にいったというほどの、ジンベエザメ好きです。
 探索すること2時間。とうとう、ジンベエザメを発見しました。港をでてから3時間というルールがあるので、残された時間は1時間。
 しかし、この時間内で、5回もジンベエザメと一緒に泳ぐことができました。沈んだり、浮かんだりをゆっくり繰り返します。もっとも水面近くに浮かんだ場合には、水深2メートル程度まで浮上します。フィンをつけた状態で一生懸命泳いで、やっとついていける早さです。1回の遊泳時間は、おそらく5分あるかないかでしょう。
 わたしたちの船のガイドさん(BIO: Butanding Interaction Officer)は、偶然にも、Junさん!! かれの的確なガイドで、わたしたちはジンベエザメの浮上してくるであろう場所に船を移動させることができました(20隻もの船が集合するので、ガイドさんと船頭さんの腕で、潜る順番と遭遇機会がかわってきます)。
 Junさんによると、今日は3頭のジンベエザメと遭遇したとのことです(昨日は5頭)。最大は全長8メートルほどのものでした。普段から見慣れていないので、わたしにはどれほど大きなものなかは、まったく想像できませんでした。途中、ウミヘビがでてきたりして、驚かされました。
 ジンベエザメのシーズンは12月から5月。もともとは漁師さんだったJunさんは、これ以外の季節はマニラに出稼ぎに行くといいます。レストランでコックさんをしているとのこと。コックさんの日給は1日300ペソですが、食事付きなので、悪くない、といいます。これも、フィリピンの現実です。  

Posted by 赤嶺 淳 at 17:02Comments(1)TrackBack(0)あるく・みる・きく

2011年12月26日

『クジラを食べていたころ』目次

 本書は、名古屋市立大学・人文社会学部の2011年度前期に、わたしが担当した講義「東南アジア地域研究」で課した「聞き書き」の作品を編集しなおしたものです。以下、目次を掲載いたします。

はじめに
第1部 はたらきづめの人生
 1 「玉木裕子さん 仕事ほど楽なことはない」 玉木沙織
 2 「田附知子さん 大変なのはあたりまえ」 大賀由貴子
 3 「津田鏡子さん いまみたいじゃないもんで」 津田成美
 4 「児玉ミツ子さん ほんと、はたらきっぱなし」 中浦愛美
 5 「今泉秩・節子さん いまでも食べていける/ご飯とお魚があったら一番」 小山夏実
第2部 カレーライスとカップ麺
 6 「間野二三子さん 米の一粒も無駄にしない」 小川あずさ
 7 「水野ツヤ子さん クジラよりウサギ」 横山琴子
 8 「小田千代子さん 理想的なのは、一日、一日、買うことったい」 小田詩織
 9 「山田道男さん みんなもないから、みんな、おなじ」 斉藤みなみ
10 「山田一久・トラミさん 最高の生活と、どん底の生活」 吉田菜津美
11 「木村とみ子さん ほんとうに食べ物がないときだったからね」 木村仁美
第3部 便利になった生活
12 「浅井三郎さん 楽になったよ 柴田沙緒莉
13 「森原美恵子さん だんだんと 森原ももみ
14 「片山之子さん みんな洋食をつくりたがってた 羽田美由紀
15 「富田泰成さん いまはそんな風景、ありませんよね 渡邉健太
おわりに 「食生活誌」学の確立をめざして 赤嶺淳
  

2011年12月25日

グローバル社会を歩く

 このたび、「グローバル社会を歩く」というシリーズの第1号として『クジラを食べていたころー聞き書き 高度経済成長期の食とくらし』という調査報告書を刊行いたしました。これは、わたしが今年度前期に担当した「東南アジア地域研究」という講義で課した聞き書きのレポートを再編集したものです。
 以下に「グローバル社会を歩く」シリーズ刊行の辞を引用いたします。今後も年間2、3冊のペースで発行したいきたいと考えています。ご愛顧いただければさいわいです。


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 このたび、「グローバル社会を歩く」と銘打ったシリーズとして、調査報告集を刊行することとなりました。
 そもそも「グローバル社会を歩く」は、名古屋市立大学・大学院人間文化研究科の「グローバル社会と地域文化」に所属する教員有志ではじめた研究会です。わたしたちは、文化人類学、社会学、社会言語学、地域研究を専門とする教員で構成されています。お互いが研究対象とする地域も北米、中国、ヨーロッパ、東南アジア、日本とバラバラです。共通点は、ただひとつ。みながフィールドワークを研究手法に据えているということです。
 現代が、モノ、情報、資本の往来するグローバル化時代であることは、いうまでもありません。世界が小さくなったといわれる今日、地域社会はどのような問題を抱えているのでしょうか? こうした素朴な疑問にこたえるために、2010年、わたしたちは「グローバル社会を歩く」という研究会をたちあげました。
 フィールドワークは、「歩く・見る・聞く」と表現されることがあります。名言、そのものです。しかし、わたしたちが研究会の名称に託した「歩く」には、別の意味もこめられています。それは、ただ単にフィールドを「歩き」、観察するだけではなく、フィールドの人びとと一緒に「歩む」ということです。研究成果の地域還元について真摯にとらえたい、という意思表示なのです。
 この調査報告シリーズでは、地域社会での生活変容を具体的に記録することを一義的に考えています。つたない報告書ではありますが、フィールドワークで得た生の声を届けることから、わたしたちの「歩み」をすすめたいと存じます。みなさまからのご批判をお待ちしています。

2011年11月

グローバル社会を歩く研究会

  

2011年12月25日

『クジラを食べていたころ』を刊行しました。

 このたび、『クジラを食べていたころー聞き書き 高度経済成長期の食とくらし』を刊行いたしました。
 「グローバル社会を歩く」という研究会から刊行された少部数のブックレットです。新泉社(@東京)が販売をうけおってくれました。流通部数も少なく、ほとんど宣伝らしい宣伝もしていないにもかかわらず、福島県内の図書館が購入してくださったそうです。本書用に書きおろした「「食生活誌」学の構築をめざして」(pp. 204-212)という短文の執筆動機は、そもそも福島第一原子力発電所の事故を契機として、高度経済成長期以降の食生活システム全体が、安定した電力供給を前提に成立してきたという、自明の事実にあらためて気づかされ、そのことの不自然さをうたがうようになったことに起因しています。そうした文章を、被災からの復興過程にある人びとに読んでいただき、批判していただけること、光栄に存じます。
 以下、本書におさめた「はじめに」の一部を紹介いたします。

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 わたしは、自身の研究の必要性から、さまざまな地域で、いろんな人びとにインタビューをおこなってきました。訊くテーマはそれぞれですが、話の最後は、話者の人生哲学というか、語り手さんがたどってきた人生談におちつくことがほとんどです。
 人間は、世間とかかわらずに生きてはいけません。個人の生きざまを訊くということは、その人が生きてきた時代を訊ねることにつながります。こうしたジャンルを、わたしたちは個人史といったり、ライフ・ヒストリー、あるいはライフ・ストーリーとよんだりしています。ライフ(life)は生活、ヒストリー(history)は歴史、ストーリー(story)は物語です。インタビューした内容をストーリーに仕立てることを「聞き書き」とよんでいます。
 もちろん聞き書きの主人公は、語り手です。調査研究のためとはいえ、語り手は、聞き手によって、プライバシーを暴かれる存在でもあります。だから、というわけでもありませんが、本書は基本的に(甘えのゆるされる)親族への聞き書きがほとんどとなりました(例外は三篇で、いずれも旧知の方でした)。残念ながら、すばらしい聞き書きにしあがったのに、語り手さんの希望で掲載を見送った物語もありました。また、語り手さんが顔写真の掲載を遠慮された報告もあります。
 タイトルに「クジラを食べていたころ」、副題に「高度経済成長期の食とくらし」とあるように、本書の目的は、日本社会が劇的な変化を経験したとされる高度経済成長期について、変化の諸相を「食」の視点から切りとることにあります。食糧難にあえいでいた戦後復興期に、わたしたち(の先人)の命をつないでくれたのは鯨肉でした。しかし、飽食国家にくらすわたしたちが、現在、消費する鯨肉は、ひとりあたり年間わずか50グラムにとどきません。ハンバーガーのパテ2個にも満たない分量です。
 鯨肉消費が減少した理由のひとつが、1970年代以降に急速にたかまった反捕鯨運動にあることはまちがいありません。実際、「日本は裕福になったんだから、もう鯨肉を食べる必要はない」といった意見を耳にします。しかし、食習慣や食文化といった問題は、そんな単純な議論には収斂しえないはずです。「食」という行為を、生活様式全体に目配りをし、もっと多角的に考察する必要がありそうです。
 わたしたちが学ぶ人文社会系の学問では、「何故?」という理由を問うだけではなく、いかにして変化が推移していったのか、という過程そのものをあきらかにすることが必要です。たとえば、高度経済成長期以前の日本では、今日ほど畜肉や油脂を消費していませんでした。鮮魚が海浜部集落以外にも流通するようになったのは、高度成長期のことでもあります。このように鯨肉消費の減少は、冷蔵庫をはじめとした家電製品の普及、外食産業の隆盛、利便性を追求する流通産業といった、さまざまな生活様式/社会生活の変容のなかに位置づけなくてはならないのです。
 こうした見立てのもと、第1部では「はたらきっぱなし」だったという労働環境を、第2部ではカレーライスとカップ麺というあらたな「食」との出会いを、第3部では利便性そのものを主題とした聞き書きをならべました。一読すると、鯨肉消費という限定的な話題にかぎらず、いかに生活の変化が食卓に反映されているかがわかっていただけるはずです。
 ここに収録した15篇の聞き書きの著者は、大学2年生から4年生までの学生です。はじめて聞き書きに挑戦した学生も少なくありません。聞き手の苦労(と達成感)は、それぞれの物語の最後に附した「聞き手のつぶやき」を参照ください。
 ある学生は、「残念ながら祖母はどんなに説明しても、今回の聞き書きの趣旨を完全には理解してくれなかった」とつぶやいていました。しかし、「理解していなくとも、祖母は無意識のうちに、自分の見てきたこと、経験してきたことを話してくれていた。ひとつのことを聞いているうちに、それに関係するさまざまなことが見えてきて、そこからその人の歩んできた人生が見えるというのが、こういった聞き書きのおもしろさなのだと感じた」ともつぶやいています。
 この学生がいうように、聞き書きのおもしろさは、語り手と聞き手の協働作業の過程にあります。とくに祖父母のたどってきた歴史を訊ねることは、学生自身のルーツを確認する作業でもあります。手前味噌にすぎるかもしれませんが、素人が親しい人びとを聞き書きしたからこそ、かえって学術書があつかいきれなかったリアリティが浮かびあがったと自己評価しています。
 今年の3月11日以降、日本は、いや人類は、他人のまねではなく、自分自身で、あらたなモデルを模索せざるをえなくなりました。将来について、決して楽観視はできないものの、悲観していてもはじまりません。さまざまな困難を乗りこえてきた先人の語りに耳をかたむけながら、将来を展望してみようではありませんか。なにも昔の生活にもどろう、と提案しているのではありません。かつての知恵をヒントにすることで、よりよい社会をひらいていけるはずです。この聞き書き集が、読者のみなさんにとっても、勇気づけられるものであることを願っています。

赤嶺 淳

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2011年07月12日

海上の安全

7月12日(Day 2)

今日の朝一番は、議題番号12の「海上の安全」(Safety issues at sea)でした。シー・シェパード・コンサベーション・ソサイエティによる暴力行為についての議論でした。日本政府が作成したビデオの上映もおこなわれました。

以下、発言順に、要旨をまとめます。

①ロシア。暴力行為に反対するとし、旗国(オランダ、オーストラリア)や寄港国(ニュージーランド、オーストラリア)の意見を求めました。
②オランダ。この問題はIMO(International Maritime Organization: 国際海事機構)で議論すべきで、IWCの議題ではない。海上の安全は尊重すべきではなるが、法律の範囲内でのデモは可能。
③キリバス。暴力行為は「繰り返し」ではなく、「エスカレート」している。捕鯨に関する意見の相違は、このような暴力的手段で解決をみるべきではない。
④オーストラリア。いかなる国際法の違反はみとめられない。この問題はIMOで議論すべきである。日本は調査船を合法的というが、オーストラリアは、そうは考えていない。
⑤韓国。捕鯨は海洋資源の利用の一形態であり、科学的見地にもとづいた持続的利用は推進すべき。海上でのデモンストレーションは、政治的行為である。不満があっても、いかなる違法行為はゆるされるべきではない。この問題に関係する国家に責任ある行動をもとめる。
⑥モロッコ。調査捕鯨船は、IWCの許可をうけて操業している以上、そうした船舶への暴力行為は、IWCの問題である。
⑦メキシコ。オーストラリアとオランダに適切な処置をとることをもとめる。
⑧ニュージーランド。公海の安全をもとめる。平和的なデモはみとめられるべきであるが、暴力行為はみとめられない。しかし、南氷洋での捕鯨が攻撃対象となるのも不思議ではない。
⑨ノルウェー。全面的・無条件に日本を支持する。
⑩米。海上の安全と生命の安全は、もっとも尊重されるべき。今後も調査はつづくだろうが、安全確保が必要である。
⑪ポルトガル。調査活動に反対はあるだろうが、暴力行為は駄目。
⑫アイスランド。テロ組織を批判の対象とするのではなく、旗国、寄港国を標的にすべきである。平和裡な抗議をおこなう権利は有していても、暴力行為はみとめられない。

と12ヵ国の意見が表明されました。これまでにも度々、暴力行為の批判が決議されてきていますが、実行力があったかどうかは不明です。韓国は、1982年の商業捕鯨モラトリアムも見直すことを約束したのにしなかったIWC自体の組織としての信憑性を問題にし、こうした決議も実行力をもったものにすべきである、と力説したのが印象的でした。  

Posted by 赤嶺 淳 at 18:59Comments(1)TrackBack(0)IWC63

2011年07月11日

IWC63@ジャージー島(英国王室属領)


今日から国際捕鯨委員会の第63回年次総会(IWC63)が、英国王室属領のジャージー島で開催されています。王室の私領ということで、議会も税金も通過も独自のものをもっています(外交と国防をイギリスに委託しているとのこと)。もちろん、EUには加盟していません。フランスのブルターニュ地方の沖ということで、文化的にも歴史的にもフランスの影響がつよい感じです。

で、です。開会早々にシーシェパード・コンサベーションが集団でやってきて会場となっているフランス・ホテルの前でデモンストレーションをやっていました。「鯨類に自由を」と歌っていました。

デモだけが目的ではないらしく、数台のカメラで、騒動にかけつけたわたしたちを撮影していました。気のせいか、日本人にねらいをさだめて撮影していたようにも感じました。かれらのホーム・ページなどで使用するものと思われます。

わたしも撮影されたはずです。仕事柄、わたしも写真を撮らせてもらい、こうして写真を使わせてもらうこともおおいわけですが、肖像権はむずかしい問題だと感じました。まぁ、ポール・ワトソンさんは、有名人なので、アップを掲げてもいいかな、と思っています。この写真も、メディアのカメラのインタビューに答えているところなので、かれが撮られることを嫌がっているとは思えませんし。第一、こうしてかれの写真を利用することも、結果的にかれの活動を世に広めることにつながるわけで、かれの想定内の戦略なのかもしれませんが・・・  

Posted by 赤嶺 淳 at 20:01Comments(0)TrackBack(0)IWC63

2011年06月16日

ISRRRM 2011 Malaysia

The International Symposium on Society and Resource Managementという学会に参加するため、6月9日からマレーシアはサバ州、コタキナバルに来ています。昨日(15日)午前のセッション5.1で"Die in peace and come back again: Functions of memorial services for wildlife in marine resource management in Japan"と題した発表をおこないました。

ワシントン条約における水産種の管理問題について触れたのち、能登なまこ加工協同組合が主催する「能登なまこ供養大漁祈願祭」について報告し、こうしたイベントが資源管理にはたしうるintangible toolとしての機能について説明しました。

日本ではなかなか会えない旧友とあったり、新たな仲間と知りあえるのが学会の醍醐味です。10月に台北で開催される東アジア環境史学会(EAEH2011)に参加を予定していますが、その際、国立台湾師範大学で講演をひきうけることになりました。これも、今回、知己をえた先生からの依頼によるものです。こうした機会を活用し、自分の研究の幅をひろげていきたいと考えています。

この学会にさきだち、駆け足で、かつて調査でお世話になった家族をセンポルナに訪ねました。15、16年ぶりの再会となったわけですが、当時、おさなかった娘さんたちが、貫禄あるお母さんになっていて、昔話でもりあがりました。ダイビングでにぎわうセンポルナの街並みも、かつてとは大違いで、こちらも浦島状態でした。

当たり前といえば、それまでですが、時間の流れを痛感させられました。次に会えるのは、いつのことやら、です。  

Posted by 赤嶺 淳 at 12:43Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2011年03月11日

『地域研究年報』第8号ができあがりました。

 わたしが運営する地域研究ゼミの年次報告書、『地域研究年報』の第8号が刷りあがってきました。卒業論文6本を中心に、3年生の卒論中間報告、ゼミ生の自己評価で222頁となりました。6号(2009年)、7号(2010年)と論文数が少なくコンパクトなものがつづきましたが、久しぶりに多様なテーマを掲載し、200頁代の大著となりました。漢数字で「八」は、末広がりなラッキー・ナンバー。これにあやかり、今後も発展していきたいものです。
 わたしは、フィールドワークを研究手法に据えています。いいかえれば、調査地の人びとからなにかしらの搾取をすることで、生計を立てていることになります。そんな批判に少しでも応えるべく、論文や講演など、さまざまに調査結果の還元を模索してきました。
 このことは、学生にもあてはまるはずです。卒論とはいえ、現地調査をおこなった以上、その成果を公表するのは社会的責務といえます。このため、最初の卒業生を輩出した2004年の春に『地域研究年報』を創刊し、これまで細々と刊行してきました。
 こういう時代ですからPDFにしてダウンロードということも考えられますが、調査でお世話になった方がたには高齢者も少なくなく、印刷媒体でお返しすることが礼儀だろうと考え、予算の許すかぎりの印刷をおこなってきました(一部はWEBで公開しています)。
 もちろん、内容的には玉石混淆です。それでも、学生ひとりひとりがベストを尽くした結果です。調査でお世話してくださった方がたには、今後も長い目で大学教育への支援をお願いしたいと存じます。「学生のことだから」と甘えることなく、わたしたちも、10年後、20年後にフィールドワークの記録として重宝されるような、しっかりした文章の叙述を心がけていきたいと考えています。
 『年報』の刊行をもって、めでたく2010年度も幕を閉じることとなりました。当ゼミを支援くださった皆様に、あらためてお礼もうしあげます。ありがとうございました。  

2011年03月02日

MST 2011も終わります。

2月22日からマレーシアでおこなったマレーシア・スタディーツアー2011(8泊9日)も、無事、終了のはこびとなりました。

雨期ということで、天候には悩まされました。が、昨日、訪問したバコ国立公園では、太陽が姿をあらわすというラッキーな1日でした。おかげで、同公園を堪能することができました(同公園の目玉動物・テングザルにも出会えました)。

今回は1年生5名と2年生3名の8名を引率し、サラワク州を中心に「生物多様性と文化多様性を実感する旅」でした。こういった機会を契機として東南アジアの豊かさに触れ、学生たちが自分の足で東南アジアを歩くようになってほしいものです。そのためには、さまざまな制約をもつ、こうしたスタディー・ツアーも頑張らねば、という気をつよくした次第です。

本実習を支援くださったみなさま、とくにマレーシア国民大学(UKM)のジュナエナ・スレハン先生とクチン在歴35年の酒井和枝さんにお礼もうしあげます。ありがとうございました。

報告書は7月末完成を目標としています。この8日間に学生たちが、なにをまなんだか、に関心のある方は、研究室まで問い合わせください。  

2011年02月23日

マレーシア・スタディー・ツアー (MST 2011)

昨日から、学部の1年生5名、2年生3名を引率し、マレーシアに来ています(帰国は3月2日)。

2010年度にマレーシア国民大学(UKM)と名古屋市立大学とが結んだ交流協定(LOI: Letter of Intent)の一環です。

今日の午前中は、UKMの人文社会学部を訪問し、同学部の1年生たちと交流する機会をつくってもらいました。また、UKMの先生から「サラワクの生物多様性と文化多様性」についての講義もいただきました。午後は、(お返しにはなりえませんが)わたしがLESTARIと呼ばれる環境開発研究所で"Living ethically with the environmet: A problem on gamat conservation in the world"と題した講演をおこない、UKMの先生たちと研究交流の場としました。日頃、考えることのの少ない点についてコメントを頂戴したこと、ありがたく思います。

明日からは、サラワク州のクチンに飛び、「生物多様性と文化多様性発見の旅」です。実は、学生を引率してUKMに来るのは今回で2回目です。前回の2010年8月は、Taman Negaraと呼ばれる国立公園を中心にいわゆる熱帯多雨林を勉強する機会としました。また、Orang Asliと総称される少数民族の集落にも短時間ながら訪問する機会をえました。というわけ、今回はマングローブ林を中心とした湿地林の体験を、ということでサラワクのバコ国立公園を訪問したり、サラワクの少数民族の集落を訪問しようと考えています。

こうして交流協定をむすんでも、得をするのは、日本人の学生ばかりです。いつか、マレーシアの学生さんたちにも、日本に来てもらいたいものです。  

2011年02月16日

ニューカレドニアに来ています

昨2月15日から3泊4日の旅程で南太平洋はニューカレドニアに来ています。フランス領ということもあってか、関空の搭乗ゲートでは、フランス語がとびかっていました。わざわざ、日本で乗り換えて、ニューカレドニアにバカンスという感じです。

直行便で9時間弱。日本との時差は2時間。こちらが進んでいます。昼間につけば、どうってことないのでしょうが、なんせ到着したのが夜の11時前。午前1時すぎにホテルにチェックインし、寝たのが2時過ぎ。朝は8時からシンポジウムということで、結構、しんどい1日でした。

ニューカレドニアは2003年8月に訪れて以来、2回目です。東京なみの物価の高さに驚くとともに、ベトナム系住民の多さに「さすが、仏領」と感心したのを覚えています。

今回の目的はACIAR-SPC Asia-Pacific Tropical Sea Cucumber Aquaculture Symposiumというナマコ関係のワークショップに参加することです。3日間に26本の発表があるほか、毎日のおわりに4班にわかれ、個別の問題を議論し、それを全体会で整理しています。

ACIARは、Australian Centre for International Agricultural Researchの略称で、「オーストラリア国際農業研究所」とでも訳せばよいのでしょうか? SPCは、Secretariat for the Pacific Communitiesの略で、日本では「太平洋共同体事務局」として知られています。太平洋諸国の教育や健康、経済開発をになう国際機関で、その本部が、ここニューカレドニアにあるのです。2003年にユーカレドニアを訪問したのも、SPCが目的でした。

わたしも、明日、Sea cucumber markets in the worlds: Hong Kong, Guangzhou and New Yorkと題した発表をおこないます。 「アジア・太平洋地域における熱帯産ナマコの養殖」というシンポジウムの題名にあきらかなように、ハネジナマコを中心とした養殖技術の問題点を討論するのが主目的ですが、ひろく熱帯の漁村/漁民がかかえる問題や市場構造についても議論するセッションがもうけられており、わたしは、そこで話題を提供する、というわけです。

今日は、わたしにとっては、やや難しい増殖についてのセッションでしたが、1日中、ナマコの議論にあけくれた、という日はそうそうあるものではなく、とても充実した時間を過ごすことができました。明日が、今年初の発表です。これまでのFAOやCITESで協働してきた以外の人びともおおく、こうした機会を通じて、ナマコ研究の枠をひろげていければ、と考えています。  

Posted by 赤嶺 淳 at 15:46Comments(1)TrackBack(0)研究成果

2011年02月01日

『海參戰役』

 拙著『ナマコを歩く—現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010年)の中文版が、台北の群學出版( http://www.socio.com.tw/ )から、『海參戰役—從現地思考的生物多樣性與文化多樣性』と題して出版されることになりました(2月28日出版予定)。
 主題の「海參戰役」は、2章であつかったガラパゴスのナマコ戦争、副題の「從現地思考的生物多樣性與文化多樣性」は、拙著の副題「現場から考える生物多様性と文化多様性」を翻訳したものです。
 わたしは、食文化の存続のためにも、生物資源の保全(と持続可能な利用)は必要だと考えています。中国食文化の要でもあるナマコ問題をあつかった拙著が、中文に翻訳され、よりひろい人びとに読んでいただけることをうれしく思います。
 出版にあたっては、台北の財團法人中華飲食文化基金會から出版助成を頂戴しました。つたない研究に助成してくださったことを感謝いたします。  

Posted by 赤嶺 淳 at 05:55Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2011年01月17日

報告書が完成しました!


 2010年度の国内フィールドワーク実習の報告書、『七尾に生きる—能登の宝は、人』(A6判、162頁)が刷りあがってきました。うれしいものですね。実習をささえてくれたみなさんに感謝です。
 2002年度以来、自主的におこなってきたフィールドワーク実習も、2007年度から国際文化学科の正規科目(2単位)として開講するにいたっています。しかも、今年度からは人文社会学部が予算を負担してくれるということで、責任も痛感している次第です。
 実習を実施するにあたっては、「調査地への成果還元」と「臨地教育の実践」を念頭に、年度内の報告書刊行をめざしてきました。さいわい参加者の多くがゼミ生だったということもあり、学生たちの反応をたしかめつつ、作業をすすめることができました。この過程で、わたし自身も、フィールドワークの教育的意義を自問することができました。
 しかし、今年度は、ゼミ生以外の学生が多数の参加してくれたため、なかなか自省する機会を得ることができませんでした。そうした学生たちにとっての実習とはなんだったのか? あるいは、学生たちが報告書作成過程で学んだことはなんだったのか? をふりかえる機会として、下記のとおり報告会を開催することにいたしました。
 報告会を企画した背景には、実は、もうひとつの理由があります。近年、とくに独立法人化以降、「大学による社会貢献」と「実習教育の推進」に注目があつまっていることに、わたし自身が居心地の悪さを感じているからです。たしかに大学が社会に開かれ、実習教育がさかんになることに異論はありません。しかし、その一方で、安易に「社会貢献」を口にすることにわたしは躊躇しています。どこかの地域で実習をおこなえば、それで社会貢献といえるのでしょうか? 調査被害ということばがあるように、実習をおこなうことで、調査地・調査協力者に不利益をもたらしている可能性も排除できないのです。
 こうした問題意識から、報告会には、フィールドワーク教育を研究・実践されている宮内泰介さん(北海道大学)、小野林太郎さん(東海大学)をはじめ、七尾市の街おこし・街づくりに奔走されている盛田誠人さん(マクロスゲート)、森山奈美さん(御祓川)をお招きし、調査実習と社会貢献についても議論を展開したいと考えています。
 ショートノーティスで恐縮ですが、お時間のゆるす範囲で、いらしてくださいますよう、お願いもうしあげます。

「人」と出会い、「語り」に出会う——聞き書き講座in能登2010報告会
2011年1月20日 16:30〜18:30
名古屋市立大学・滝子(山畑)キャンパス1号館(人文社会棟)203号教室  

2011年01月12日

聞き書き講座in能登2010(フィールドワーク実習)報告会

 2010年8月7日〜10日まで能登地方で実施した国内フィールドワーク(「聞き書き講座in能登2010」)報告会を、以下の内容で開催いたします。
 報告書『七尾に生きる—能登の宝は、人』の出版を祝うとともに、実習参加者と調査実習の成果をふりかえる機会にしたいと存じます。
 こうした機会を通じ、研究/教育手法としてのフィールドワークのみならず、フィールドワークを通じた地域貢献のあり方まで議論できれば、と考えています。
 フィールドワークとフィールドワーク教育に関心のある方を歓迎いたします(学外者にもオープンです)。ぜひ、議論に参加ください。

□日時と場所 2011年1月20日(木)の16:30より、名古屋市立大学・滝子キャンパス1号館(人文社会学部棟)203号教室。
□プログラム 
 16:30~ あいさつ(赤嶺)
 16:35~ 国内実習の概要説明
 16:40~ 発表
 17:30~ 宮内泰介さん*、小野林太郎さん**、盛田誠人さん***、森山奈美さん****からのコメント
 18:10〜 総合ディスカッション(司会 赤嶺)
 18:30  終了
*北海道大学大学院文学研究科(環境社会学)。
**東海大学海洋学部(民族考古学/海洋民族学)。
***株式会社マクロスゲート(本実習の現地コーディネーター)。
****株式会社御祓川(本実習の現地協力者)。  

2010年12月25日

講演リスト2010

今年の講演をふりかえります。今年は3月のCITESではじまり、10月のCBDで終わった、という感じです。講演も、それらを話題にしたものばかりでした。特異といえば、能登なまこ加工協同組合での供養の話でしょうか?

1月7日 「グローバル化時代のアジアと日本ー食の安全保障と環境利用から考える①」@名古屋市生涯学習推進センター
1月14日 「グローバル化時代のアジアと日本ー食の安全保障と環境利用から考える②」名古屋市生涯学習推進センター
3月6日 「野生生物の持続的利用 供養の可能性」ナマコ供養大漁祈願祭@石川県漁業協同組合七尾支所/能登なまこ加工協同組合。
4月16日 「価値多様性な社会へ CITES CoP15 in Dohaをふりかえって」@GGT、航空会館。
5月29日 「価値多様な社会を築くー 課題と展望」@GGT、高知県立ふくし交流プラザ。
8月18日 「『環境問題』再考ー同時代史的視座のすすめ」教員免許状更新講習会@名古屋市立大学。
10月4日 「生物多様性条約の精神ー生物資源の持続的利用と文化多様性」第7回「海洋生物多様性と文化多様性」シンポジウム@名古屋市立大学。

来年は、東南アジア社会について、といった多様な話題をお話できれば、と考えています。  

Posted by 赤嶺 淳 at 16:09Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2010年12月21日

研究発表 2010

 今年、最後の研究発表です。
 清水市の独立行政法人遠洋水産研究所で開催される第5回マグロ研究会で、「水産資源をめぐる国際環境ーCBD COP10を中心に」と題した発表をおこないます(12月22日)。
 以下、今年の研究発表をふりかえります。
 「想像力を鍛える—野生生物保護と文化多様性保全の問題点」(1月10日、「アダプティブ科研」第6回研究会@立教大学)
 「捕鯨をめぐるエコ・ポリティクス・序章ー第62回国際捕鯨委員会に参加して」(7月31日、「捕鯨文化の実践人類学的研究」@国立民族学博物館。
 12月13日(月)には、「水産資源利用のポリティクスCITESを中心に」と題した発表を「水産資源・海域環境保全研究会(CoFRaME)会員交流会」にておこないました(@日本ビル1Fデスク会議室)。同研究会が主催したCOP10のサイド・イベントとして開催した「環境に優しい漁業への日本の経験と責任」においても、「『ナマコ戦争』とワシントン条約」と題した口頭発表を10月28日におこないました。
 こうしてみると、ここ数年は、エコ・ポリティクスに関する研究が中心だったと、つくづく思います。来年は、もっと現場に密着した研究を志したいと考えています。  

Posted by 赤嶺 淳 at 21:25Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2010年12月06日

メディア・デビュー その2

またもや、ラジオ出演することになりました。今度は、TBSで、毎週土曜に放送している久米宏さんの番組、「久米宏 ラジオなんですけど」です(http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/)。

30分間、久米さんとお話する、生番組なんだそうです。突然の出演依頼で驚いています。まぁ、これも「ナマコの縁」です。ナマコ的に、なんとかなると楽観視しています。  

Posted by 赤嶺 淳 at 16:10Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2010年08月21日

メディア・デビュー!?

今度、ラジオとテレビに出演することになりました。もちろん、「ナマコ」が話題です。

ラジオは、NHK第1放送で8月25日の午後6時半からの「私も一言! 夕方ニュース」に、テレビはおなじくNHKの教育テレビで8月27日の午後10時50分から11時までの「視点論点」です。

いずれも生物多様性条約締約国会議を念頭においた番組です。ラジオはインタビュー形式で、解説委員さんとの対話です。連続3回のインタビューで、わたしは3人目ということでした。テレビは、単発ですが、「ナマコから考える生物多様性」というタイトルで9分30秒ほど話します。

ラジオは想像どおりでしたが、テレビはたった10分のモノローグ形式の番組なのに、10数名が関与するものでした。2回失敗し、3回目の正直で収録を終えました。秒単位の調整がむずかしかった・・・自己評価は65点。次回以降、機会があれば、70点はめざしたい、ですね。

とはいえ、わたしは8月23日から1ヶ月間、シンガポールとインドネシアに調査にでかけます。ですので、ラジオもテレビもリアルタイムには視聴できません・・・

生物多様性関係では、『中日新聞』と『朝日新聞』名古屋本社版にも、原稿を書きました。いずれも9月中に掲載されるはずです。

これまでは研究成果の発表といえば、論文と著書が中心でした。あとは、講演かな(先日も教員免許状更新講習で講師を務めました)? でも、よりひろく意見を聞いていただくためにも、今後は、ネットを含むメディアでも、積極的に意見を発表していこうと考えています。ご批判ください。  

Posted by 赤嶺 淳 at 19:03Comments(0)TrackBack(0)研究成果

2010年06月18日

資源利用の当事者性―IWCの将来(6月17日)

 第62回国際捕鯨委員会(IWC: International Whaling Commission)に参加するため、モロッコはアガディールという港町に来ています。乾燥した空気に大西洋から吹いている冷たい風が、心地よく感じられます。空も青い!!
 今回が初めてのIWCです。
 これまでナマコやフカヒレの問題で、ワシントン条約(CITES)関係の会議にかかわるようになり、水産資源の利用と管理に関する国際枠組みに関心がでてきたのが、はるばるモロッコまで来た理由です。さらに言えば、1970年代以降に世界中で顕著となった環境主義を象徴する動物が陸上ではゾウであり、海洋ではクジラということもあり、環境主義のながれを俯瞰するためにもクジラには、関心をよせてきまっした。そして、なんといっても、捕鯨は、日本とも無関係ではありません(し、わたしは鯨料理が大好きなんです)。
 その一方で、いくら研究のためとはいえ、国際会議に参加するために世界中をとびまわる予算と時間を、もっと東南アジアや日本でのフィールドワークに費やすべきではないか、という疑問も、常に感じてきたことも事実です。それでもやはり、国際会議ならではの収穫もあります。それは、わたしの研究のキーワードのひとつでもある、「当事者性」を実感できる、ということです。
 たとえば、前回のCITESで、アフリカゾウの持続的利用を訴えたザンビア政府代表の演説です。現時点では附属書Iに記載され、商業取引がみとめられていない自国内のアフリカゾウを、附属書IIに降格させ、持続的に利用させてほしいと主張した際、「わたしたちが必要としているのは(国際社会からの)援助ではなく、自立する術である」と訴えたのでした。残念ながら、彼女の訴えは締約国の一部にはとどくことはありませんでした。
 わたしがこちらに来て今日で3日目の会議となりますが、今回、初めて味わった感動を紹介します。それは、「IWCの将来」というワーキング・グループの最後のスピーチでした。締約国の発言がひととおり終わったところで、一部のNGOが、意見をいう場をあたえられました。スピーチに手をあげた6団体の最後は、アラスカ・エスキモー捕鯨委員会(Alaska Eskimo Whaling Commission)のジョージ・ノオンウック(George Noongwook)さんでした。同委員会の副委員長をつとめるジョージさんは、アラスカのベーリング海にうかぶセイント・ローレンス島からきたといいます。彼は、いかに自分の村の生活がホッキョククジラやセイウチ、アザラシをはじめとした水産物に依存しているかを主張する冒頭で、「みなさんにとって食料はお店で購入するものでしょうが、わたしたちにとっては食料は海から獲ってくるものなんです」と切り出したのです。
 つづけて「みなさんが、わたしの村に来ることはないでしょうが、ここで議論される(ホッキョククジラの)捕獲枠によって、わたしたちの生活は大きく左右されるのです」と訴え、政治的な対立はよしてくれ、と懇願したのです。
 こうした発言は、なんら修辞をこらしたものでもありませんし、科学的な数字をならべたてたものでもありません。それでも、やはり、当事者であればこその重みをもっていると、わたしは感じ入りました。それにくらべれば、全世界に1100万人の支援会員を擁すると豪語する愛護協会(Humane Society)や、おなじく数百万人の単位の支援員をほこるクジラ・イルカ保全協会(Whale and Dolphine Conservation Society)などの演説は、たしかにそうした大勢の意見を代表しているのでしょうが、当事者性という点からすれば、ゼロにひとしく、少なくともわたしの心には響くものではありませんでした。
 悩ましいのは、ジョージさんのような直接に問題に関係する人(=当事者)が、こうした国際会議に参加することがむずかしいことです。世界に何千万にもいるであろう、ジョージさんのような当事者の肉声をいかに汲みとっていけるかが、地域研究者に課された使命でもありますし、こうした国際会議の課題だと痛感させられました(いつか、ジョージさんの村に行って、ホッキョククジラを食べてみたい・・・)。  

Posted by 赤嶺 淳 at 04:28Comments(0)TrackBack(0)IWC62

2010年06月04日

『ナマコを歩く』までの道程

 今年3月、日本列島は「マグロ危機」とでも表現すべき騒動に見舞われました。
 もちろん、カタールの首都ドーハで開催されたワシントン条約第15回締約国会議(CITES CoP15)が、その主役です。
 同条約のロゴマークにゾウが採用されているように、本条約は、野生生物の国際取引の規制を目的としています。そんな条約ですが、2000年以降、野生動物とはいえ、食料として消費されてきた水産物への関心が高まっています。本書があつかったナマコも、2002年以降、同条約の俎上にあります。
 たしかにナマコは野生動物です。しかし、17世紀頃より日本や東南アジアなどの島嶼社会から中国(当時の清国)に輸出されてきたように、ナマコは歴史ある「商品」でもあります。興味ふかいのは、これら輸出されたナマコが、生産余剰品だったのではなく、はじめから輸出目的で生産されてきたことです。
 このことは、江戸時代の官制貿易である俵物貿易からもあきらかです。同時期、東南アジアでは、欧米の商船が積極的に乾燥ナマコを買い集めていました。広東で、かれらが欲する茶と交換するためでした。生産地各地から中国へ輸送する航路の港には、それぞれナマコを介した、さまざまな文化と歴史が蓄積されていったことが想像できます。
 本書は、『ナマコの眼』の著者・故鶴見良行氏が提唱した「アジア学」に着想をえています。おなじく鶴見氏が晩年に意識的に歩いたフィリピン南部と東インドネシアの島嶼社会を主要なフィールドとしつつも、鶴見氏の時代には問題視されることのなかった、「海」という環境利用に着目し、現代社会の様相の記述と分析をおこないました。
 そのきっかけは、1995年にガラパゴスで勃発した「ナマコ戦争」でした。ナマコの伝統的な生産地である東南アジアと新興産地であるガラパゴスの間に、当初は、なんのつながりも見いだすことができなかったものの、ナマコがワシントン条約の議題にあがったことで、グローバルに展開される環境主義のもと、「いかに地域社会の人びとは、自分らしく生きていけるのか」が、わたしの研究テーマとなりました。
 これまでワシントン条約をはじめとしてさまざまな国際会議に参加し、「自然資源を利用して生活している人がいる」という現実を、先進国の環境保護論者は見ていないのではないか、という疑問が生じてきました。巨大な保護区(サンクチュアリー)を設定し、原生自然を残そうという理想を語れるのは、逆説的に言えば、かれらが自然の恵みに多くを依存していないから、と考えられなくもありません。
 このような疑問から、本書の第1章ではダイナマイト漁をとりあげました。なにかと批判の多い漁業ではありますが、インターネットなどで喧伝される暴力性・破壊性は、わたしにはすべて伝聞情報にもとづく、表面的な印象記としか読めません。というのも、わたしがフィリピンの南西部で調査した事例は、フィリピン南部における開発問題とムスリム問題が、複雑にからみあったものだったからです。そして、そうしたフィリピンの開発からあがる利益を享受するのは、わたしたち日本の消費者でもあります。同様に、国際会議で主張されるボルネオ島とスマトラ島のオランウータン保護も、わたしたちが、かれらの生息地をうばっているアブラヤシから採れるパーム油の消費者であることを無視した一方的なものです(第9章)。こうした目に見えにくい関係性を、具体的な事例にほぐしていくことが、わたしの考える「学問の同時代性」です。
 もちろん、捕鯨に顕著なように、漁撈・狩猟文化や食文化とても、単に「伝統的」というだけでは、今日の高度に国際政治課題化した環境保護論の荒波から逃れることはできません。とはいえ、UNESCO(国連教育科学文化機関)が主張するように、地域社会が育んできた生態学的知識や漁撈技術といった無形文化遺産(intangible cultural heritage)の保護を考慮した場合、人間の関与を排除した一方的な自然保護や生物多様性保全も、絶対的な正当性をもつものでもないはずです(337〜340頁)。
 生物多様性条約は、(1)地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること、(2)生物資源を持続可能に利用すること、(3)遺伝資源の利用から生ずる利益を公平かつ衡平に配分することを定めています。イメージしやすいからでしょうが、巷では(1)ばかりが強調されているように思えます。だとすると、なにも生物多様性(biodiversity)という概念をもちだすまでもなく、自然(nature)や野生生物(wildlife)といった従来の概念で十分であったはずです。こうした従来の術語では十分に汲みきれなかった概念が、生物資源の持続可能な利用と少数民族の知的所有権の保護であったはずなのです。
 わたしたちが、今日、さまざまな製薬の恩恵にあずかり、ゆたかな食生活を楽しめるのは、多分に熱帯雨林で暮らしてきた人びとが継承してきた生態学知識によっています。ABS(Access and Benefit Sharing)と称される、こうした人びとへの利益還元も、もちろん不可欠です。しかし、それ以上に必要なのは、このような人びとが受け継いできた知識と経験の基盤となる「狩猟採集」という、かれらの生活様式にも敬意を払うことではないでしょうか。
 「生物多様性と文化多様性」を副題に掲げたのは、この主張ゆえのことです。本書では、ナマコという奇妙でマイナーな生物をあつかいましたが、マイナーなだけに中国・大連市でさかんな「ナマコ信仰」とでも表現すべき食文化と食料問題、資源問題の重層性が、よりクローズアップされることになりました。
 では、マグロはどうでしょうか? 喉元過ぎれば・・・ではありませんが、将来的にナマコ問題を「他山の石」とできるような日がくることを願っています。食糧の6割以上を輸入に頼るわたしたちが、世界の資源問題に無関心でよいわけがありません。本書が、そうした一連の問題群を考察する一助になればさいわいです。

赤嶺 淳  

Posted by 赤嶺 淳 at 10:14Comments(3)TrackBack(0)研究成果