『クジラのまち 太地を語るーー移民、ゴンドウ、南氷洋』

赤嶺 淳

2023年07月20日 09:23




2022年度に学生と一緒におこなった太地調査プロジェクトの成果が出版されます(8月中旬予定)。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909151810

はじめて太地を訪問してから、はやくも10数年がたちました。ようやく研究成果を発信できることに、ひとまず安堵しています。これまで「気長に」おつきあいくださった太地町のみなさんにお礼申しあげます。ありがとうございました。

出版社は京都の英明企画編集社。代表の松下貴弘さんとは、不思議な縁でつながっています。25年前、フィリピンから帰国して国立民族学博物館(吹田市)で研究者見習いをしていたころ、かれもまた編集業の修業途上にあり、ともに組織の末端で走りまわっていた仲だからです。

20数年を経て、今回の協働にいたった縁をうれしく思います。残念なことに入稿した原稿を専門ソフトで体裁を整えるだけで、原稿にコメントしない(できない?)編集者が少なくないなか、松下さんは丁寧に原稿を読んでくれ、読み手目線からするどい質問/コメントを多数、投げかけてくれました。

久しぶりにプロフェッショナルな編集者とのやりとりで緊張を味わうことができました。聞き手/書き手側の思いもあり、そのすべてに応答できたわけではありませんが、本書が多少なりとも読みやすい作品に仕上がったとすれば、それは松下さんの編集力によるものです。

読者のみなさんには、太地の人びとの個人史/生活史を味わってもらいたいと思います。その結果として、太地への理解が促進され、複雑な捕鯨問題「群」への理解が深まることにつながれば、編者としてはうれしいかぎりです。教育やNPOの関係者には、個人史/生活史を中心とした調査事例集としても読んでいただけるはずです。

調査の実施体制や編集作業の詳細は、第3部の学生代表・辛承理による「ふりかえり」を参照ください。マニュアル的なものではありませんが、10年以上にわたって「聞き書き」教育を試行錯誤してきたわたしなりのスタイルを提示しています。わたしにとって他者の人生を「訊き」、語り手の声を「聴く」ことは日常的な行為ですが、辛が聞き取った、学生たちの「聞き書き」体験のふりかえりは、わたしにとっても興味深いものでした。

以下、「太地をひらく」と題した序文の一部を紹介いたします。


 本書の目的は、「古式捕鯨発祥の地」であり、「くじらの町」を自認する和歌山県は太地町に暮らす8名の個人史を紹介するとともに、なにかと耳目をあつめる当地の多面的な歴史と現在を発信することにある。
 それぞれの個人史は、聞き手が投げかける問いに語り手がこたえる対話(ダイアローグ)を、ひとり語り(モノローグ)風に編集したものである。インタビュー当時(2022年10月)、語り手は94歳を最年長とし、34歳を最年少とした。他方の聞き手は、大学生と大学院生で、双方の年齢差は4歳弱から60歳超と多種多様であった。
 ゆたかな人生経験をもつ語り手に、20歳代の学生が挑んだわけである。それも初対面であるとすれば、インタビューする方はもちろんのこと、される方も戸惑ったにちがいない。
 
<中略>


 科学は、あらかじめ厳密に手法をさだめたうえで実験をおこない、その結果から仮説を検証していく営為である。よって、誰が実験をおこなおうとも、おなじ結果にならねばならない(再現できなければ、神の手による「捏造」の懸念が生じてしまう)。
 しかし、「聞き書き」は、そうはいかない。聞き書きが対話である以上、おなじ環境でおなじ語り手におなじ手順でインタビューしたとしても、聞き手が異なれば、語りそのものが異なってくる。
 人間のコミュニケーションに重要なのは、その「場」の雰囲気である。酒の有無を問わずとも、つい「のりすぎちゃった」経験は、誰しもあることだろう。たとえば、新潟県出身の小畑さんにインタビューしたのは、おなじく新潟県出身の砂塚翔太であった。本書で提示した語りでは、新潟県に関する内容は割愛されているが、インタビューの冒頭でかわされた新潟についての共通する話題を通じて「場」が形成されたであろうことは、容易に想像できる。その意味では、聞き書きは、一期一会の記録文学でもある。
 もちろん、そうした記録を叙述するためには、それなりの技術を必要とする。そのための訓練過程の一部始終を開示しておくことは意味あることだ。
 拙稿「太地にかかわる」は、副題にあるように、本書の「あとがき」にかえる目的で執筆したものである。かれこれ10年強となった、太地でのフィールドワークをふりかえりつつ、フィールドワークにおける信頼関係構築のむずかしさについて論じ、未来志向の「あとがき」とした。

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